4.2 くらげのクラクラひとりごと
2021.04.02 12:11|★本・雑誌・映像|
金曜午後は、そらいろブログ♪
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くらげのくらくらひとりごと

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ほん(本)のちょっとコーナー・拡大版
加納 土・著『沈没家族 子育て、無限大。』に魅かれました!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
-90年代の東京、シングルマザーの穂子(著者の母)は共同で保育をはじめた。
大人になった著者は、かつての保育人たちに出会いなおしていく。
家族をめぐる、ちょっと変わった旅の記録。(出版社より引用)-
(本の詳細が知りたい方はここをクリックしてください)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
生後8か月、著者・加納土さんの母親・穂子さん(22歳)が、
保育人募集のチラシを作り蒔いたことから、沈没家族はスタートします。
時は1995年、場所は東中野。
「子育てなんて一生できないかもしれませんよ」という穂子さんの殺し文句で
チラシではなく人が人を呼び、集まり、シフトを組み、気づいたことを書く保育ノート、
月一回保育会議、フリーペーパーも発行されます。
たまたま拾ってきた政治家のビラに「今の日本は家族の絆が薄くなっている。・・
男は外に働きに出て女は家を守るという伝統的な価値観がなくなれば
日本は沈没していく」とあり、それでは私たちのやっていることは沈没家族だねと、
フリーペーパーの名前となりました。
穂子さんから保育人に対し、こうしてほしいということはなく、
できることをできるだけ、それぞれでかかわってほしいということだけ。
子育て経験のない人たちが、自分一人で、泣きわめく子どもと対峙する、
能動的に子育てに立ち向かう・・膨大な映像や文書記録が残されました。
筆者は、2歳半まで沈没家族での共同保育、8歳まで母子2組と若者数人での共同生活、
18歳まで穂子さんとふたりで八丈島で暮らしました。
沈没家族をテーマにした大学の卒業映画作り、その後劇場版の制作を通じて、
共同生活でともに育っためぐさん、保育人たち、別に暮らした父親、
母親の穂子さんにインタビューし、
残された資料と合わせ、この本を書きました。

沈没家族当時、母親の穂子さんは写真の専門学校に通いながら、
水道の検針員の仕事をし、月収14万にプラス児童手当等5万円でアパート暮らし。
経済的にはかなり苦しく、保育人とはお金のやり取りはなく、
食事とビールくらいはふるまっていました。
世界には様々な大人がいて、価値観もそれぞれ、筆者は選ぶことを学び、
いつも大人の誰かがいてくれる、みていてくれる安心感の中、
飢えることなく生き延びることができたと語っています。
保育人募集のチラシに
"私は、土に会いたいから土を生んだのです。
ハウスに閉じこもってファミリーを想い、
他者との交流のない生活でコドモを(自分も)見失うのは、
まっぴらゴメンです"とあるように
穂子さんは、血縁など閉じた集団からの解放を求め、今も、
八丈島で、月一回、
ヘルパーとしてかかわった利用者他様々な人が集まり、
皆で考えた企画をしたり、飲み食いする「うれP家」をしています。
同時に、社団法人「八丈島ドロップス」を
仲間とともに立ち上げ活動しています。
地域活動支援センター[よごけん]と
自然養鶏[とーとーめ]とヘルパーステーション[ドロップス]の三事業です。

かつて、労働運動をはじめさまざまな社会的課題の解決を目指し、
社会運動が盛んだった時代があります。
障害者の解放運動、自立を応援、支える介護者の集団もありました。
"沈没家族"は、共同保育を目指す運動のひとつかもしれませんが、
思想的には一つに集約されずゆるく、
それぞれの求めに応じ、
集まり、かかわっていたようです。
そこに行けば誰かがいる酒が飲める、子供と触れ合える、癒される、
こころの調子が悪くあまり交流したい気分じゃなくても、そこに行けば落ち着く
社会的な意義を感じる・・など。
時代の社会構造からくるニーズとともに、社会運動があったからこそ、
育児の社会化で保育所が整備され、
介護の社会化で介護保険、障害者総合支援法が制定されてきたのでしょう。
まだまだどちらも不十分ですが。
ただ、これから(実質はアフター・コロナかもしれませんが)、
求められていくのは、
ゆるーいつながり、そのままの存在でいることが許され、歓迎されている空間かもしれません。
開かれた風通しの良い
"そよ風のようなひととのつながり"にくらげは魅かれます。
家族の形もたくさんあっていいし、なんなら、家族と呼ばなくてもいい。
ひらかれたひととひととのつながり、集まり・・
そこに育児、介護も含めることはできないでしょうか。
決して、きれいごとでは収まらないことは分かってはいても夢みてしまいます。
くらげの、閉じた集団に対する恐怖、嫌悪感はあまりに強くあります。
いったいどこからくるものなのか自分でもわかりませんけれど。
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金曜午後は、そらいろブログ♪
来週の第2金曜日、13時に更新。
記者は、しおりんさんです。
お楽しみに♡
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くらげのくらくらひとりごと

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ほん(本)のちょっとコーナー・拡大版
加納 土・著『沈没家族 子育て、無限大。』に魅かれました!
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-90年代の東京、シングルマザーの穂子(著者の母)は共同で保育をはじめた。
大人になった著者は、かつての保育人たちに出会いなおしていく。
家族をめぐる、ちょっと変わった旅の記録。(出版社より引用)-
(本の詳細が知りたい方はここをクリックしてください)
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生後8か月、著者・加納土さんの母親・穂子さん(22歳)が、
保育人募集のチラシを作り蒔いたことから、沈没家族はスタートします。
時は1995年、場所は東中野。
「子育てなんて一生できないかもしれませんよ」という穂子さんの殺し文句で
チラシではなく人が人を呼び、集まり、シフトを組み、気づいたことを書く保育ノート、
月一回保育会議、フリーペーパーも発行されます。
たまたま拾ってきた政治家のビラに「今の日本は家族の絆が薄くなっている。・・
男は外に働きに出て女は家を守るという伝統的な価値観がなくなれば
日本は沈没していく」とあり、それでは私たちのやっていることは沈没家族だねと、
フリーペーパーの名前となりました。
穂子さんから保育人に対し、こうしてほしいということはなく、
できることをできるだけ、それぞれでかかわってほしいということだけ。
子育て経験のない人たちが、自分一人で、泣きわめく子どもと対峙する、
能動的に子育てに立ち向かう・・膨大な映像や文書記録が残されました。
筆者は、2歳半まで沈没家族での共同保育、8歳まで母子2組と若者数人での共同生活、
18歳まで穂子さんとふたりで八丈島で暮らしました。
沈没家族をテーマにした大学の卒業映画作り、その後劇場版の制作を通じて、
共同生活でともに育っためぐさん、保育人たち、別に暮らした父親、
母親の穂子さんにインタビューし、
残された資料と合わせ、この本を書きました。

沈没家族当時、母親の穂子さんは写真の専門学校に通いながら、
水道の検針員の仕事をし、月収14万にプラス児童手当等5万円でアパート暮らし。
経済的にはかなり苦しく、保育人とはお金のやり取りはなく、
食事とビールくらいはふるまっていました。
世界には様々な大人がいて、価値観もそれぞれ、筆者は選ぶことを学び、
いつも大人の誰かがいてくれる、みていてくれる安心感の中、
飢えることなく生き延びることができたと語っています。
保育人募集のチラシに
"私は、土に会いたいから土を生んだのです。
ハウスに閉じこもってファミリーを想い、
他者との交流のない生活でコドモを(自分も)見失うのは、
まっぴらゴメンです"とあるように
穂子さんは、血縁など閉じた集団からの解放を求め、今も、
八丈島で、月一回、
ヘルパーとしてかかわった利用者他様々な人が集まり、
皆で考えた企画をしたり、飲み食いする「うれP家」をしています。
同時に、社団法人「八丈島ドロップス」を
仲間とともに立ち上げ活動しています。
地域活動支援センター[よごけん]と
自然養鶏[とーとーめ]とヘルパーステーション[ドロップス]の三事業です。

かつて、労働運動をはじめさまざまな社会的課題の解決を目指し、
社会運動が盛んだった時代があります。
障害者の解放運動、自立を応援、支える介護者の集団もありました。
"沈没家族"は、共同保育を目指す運動のひとつかもしれませんが、
思想的には一つに集約されずゆるく、
それぞれの求めに応じ、
集まり、かかわっていたようです。
そこに行けば誰かがいる酒が飲める、子供と触れ合える、癒される、
こころの調子が悪くあまり交流したい気分じゃなくても、そこに行けば落ち着く
社会的な意義を感じる・・など。
時代の社会構造からくるニーズとともに、社会運動があったからこそ、
育児の社会化で保育所が整備され、
介護の社会化で介護保険、障害者総合支援法が制定されてきたのでしょう。
まだまだどちらも不十分ですが。
ただ、これから(実質はアフター・コロナかもしれませんが)、
求められていくのは、
ゆるーいつながり、そのままの存在でいることが許され、歓迎されている空間かもしれません。
開かれた風通しの良い
"そよ風のようなひととのつながり"にくらげは魅かれます。
家族の形もたくさんあっていいし、なんなら、家族と呼ばなくてもいい。
ひらかれたひととひととのつながり、集まり・・
そこに育児、介護も含めることはできないでしょうか。
決して、きれいごとでは収まらないことは分かってはいても夢みてしまいます。
くらげの、閉じた集団に対する恐怖、嫌悪感はあまりに強くあります。
いったいどこからくるものなのか自分でもわかりませんけれど。
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来週の第2金曜日、13時に更新。
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